10 片思い 日本とスリランカ 【にしゃんた こらむ】
研究論文を書き上げるため、しばらくスリランカに帰っていましたが、おかげさまで無事に完成!! 日本に戻ってきました。静かな夜も終わりを告げ、また怒涛のように忙しい日々が始まっております。
てなわけで、前回に引き続き、故郷スリランカのお話を。思い出をこめて。
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大学時代の同級生に、雅夫君という連れがいるんです。僕が帰省していた去年の末に、たまたまスリランカに旅行に来てたんですよ。その雅夫君に捕まっちゃいまして。ツアーコンダクターをやらされてたんですわ。論文で忙しいのに。
雅夫君と電車に乗っていたある日のこと。ボックス型の席の向い側に、お嬢さんを連れた恰幅のいい男性が座ってたんです。何回か目があって、その都度微笑んだりしてたんですけど、そのうちしびれを切らしたかのように声を掛けてきまして。
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彼の仕事は警察官。中近東に出稼ぎに行っている嫁さんに代わって、子育てしながら仕事を続けてるらしいですわ。名前はジャーナカさんって言うてました。ジャーナカさんは、僕よりも、もっぱら連れの雅夫君に興味があるらしくって。
「日本からの方ですか?」
「ええ、そうです」
雅夫君が日本人であることを確認した瞬間、ジャーナカさんは目を輝かせました。生まれて初めて出会った日本人なんですって。
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実は、スリランカ人には日本に対する特別な思いがあるんです。ジャーナカさんは、日本について持っている知識をフルに使って、片っ端から質問攻撃を始めました。
「桜ってきれいですか?」
とかね。見た事もない桜のことを知ってたりするんです。そういえば、スリランカで「SAKURA」っていう商品名のビスケットを見つけたことを思い出しましたわ。箱に描かれていた花は、どう見てもチューリップやったけど。
彼の質問はどんどん続いてね。
「ナイヤガラってどんな滝ですか?」
とかも混ざってたりして。
どこまでも熱心に質問を投げかけてくる。思わぬお客さんに、僕は通訳にまわる羽目になってしまいまして。論文で忙しいのに。
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そろそろ目的地に近づいた頃、彼の中で一番自信を持っていたんやろうね。こんな質問をしてきたんです。
「J.R.ジャヤワルダナって、やっぱり日本では有名?」
雅夫君、「それ、何や? 場所? 人の名前?」
これは、スリランカの昔の大統領の名前なんですね。何故有名なんやって? 実はこの人の存在が、スリランカ人の日本に対する特別な思いにつながっているんですわ。
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第二次世界大戦中の1942年4月、南雲忠一中将率いる日本海軍が、ベンガル湾を越えて、スリランカのコロンボ北部とトリンコマリー湾とを爆撃したことがあったんです。
終戦後、1951年のサンフランシスコ講和会議。スリランカ代表団として出席していたジャヤワルダナさんが、「憎しみは憎しみによってではなく、愛によって消える」というお釈迦様の言葉を引用して、スリランカの対日賠償請求権を放棄したんです。ほいで、日本の真の自由と独立の支持を、参加国に求めたんですわ。このことは、スリランカで今でも語り継がれているんですよ。
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僕が小さい頃は、この賠償請求放棄の後、日本人はスリランカに親しみを感じ、感謝しているって聞かされていたんです。
でも、実際にこのことを知っている日本人はかなり少ないでしょう。ジャーナカさんが、日本とスリランカの間の一番の絆と信じ込んでいたことを、日本人の雅夫君はまったく知りませんでした。ジャーナカさん、戸惑ってましたわ。
元大統領の話には続きがあってね。日本の国鉄がJRと名称を変更した時、日本の国民が感謝の意を込めて、自分のイニシャルを用いたと誤解したんですわ。ほいで、親族一同を引き連れて、東海道新幹線でグリーン車の旅をしたんですよ。ほんまに。
戦争が世界中にもたらした被害を考えると、日本軍がスリランカを爆撃して、スリランカが賠償請求権を放棄した話って、小さなことやったんかね。その後、日本は目まぐるしく発展してきたのに、スリランカの変化は緩やかやないですか。一方の国が経済大国になってしまったので、こういう片思いの構造ができてしもたんでしょうね。
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日本人にとってのスリランカ、って考えてみたんですけどね。小学校の国語の教科書に、「一本の鉛筆の向こうに」という話が出てくるんですわ。鉛筆はどのようにして作られているのかを調べましょう、という内容なんですけどね。その中で、鉛筆の芯に使う黒鉛は、スリランカから輸入しているってことが分かるんです。多分、これが日本人が初めてスリランカと出くわす瞬間なんですね。
もう少し大きくなって、地理なんかを勉強する頃になると、世界一長い名前の首都がある国ってことで覚えるんですわ。
「スリジャヤワルダナプラコッテ」ってね。
それ以外は、紅茶が採れるとか、宝石が採れるとかってことくらいですかねぇ。1972年に国名が変わったんですけどね。年配の方によっては昔の名前、「セイロン」って言うてあげたほうがしっくりくるみたい。
ってなわけで、日本のどこに行っても、スリランカの話をすると質問攻めにあって、フラフラになるというパターンが多いですね(笑)。
これからスリランカの話をするときには、黒鉛の話とか、首都の名前が長いって話もいいんやけど、人と人との心の交流があったっていう話もして欲しいですね。それやったら、スリランカについて何の知識もなかった雅夫君が、ジャーナカさんをがっかりさせることもなかったやろなって思うたわけですわ。
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最後に、スリランカの現在の姿を少しだけ。
スリランカ北部は今、政府と少数民族の団体の間で、戦争状態が続いているんですね。
僕は、幼稚園から高校まで一貫教育をしてる、全寮制の男子校に通うてたんですよ。様々な民族が、シンハラ人もタミル人も、仲良く一緒に生活してたんです。民族の区別は全然なくってね。僕は、ラグビー部に所属してたんですけど、仲間と毎日グラウンドに入り浸ってました。いろんな民族の子がいたけど、チームスピリットがあって、シーズンを全勝したほど強かったんです。
でも、卒業してから今まで、チームメイトの八人が死にました。手榴弾の爆発で片目を失った奴、右足を切断した奴もいます。全部この戦争のせいですわ。卒業する時、またいつか同じチームで試合しようなって約束したのに。むっちゃ幸せやったあの頃は、もう二度と戻って来いひんのですよ。
一体、人びとはこの戦争で何を得たんやろうかって思います。大切な人を失い、政治は不安定で経済成長も止まっていてね。それやのに、国民総生産の1割が軍事費に流れているんです。
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昔、日本に対して言うた、「憎しみは憎しみによってではなく、愛によって消える」を一人一人が思い出さないかんと思います。目を覚まして欲しいって思います。幸せやった時代の、美しく光り輝く島 <SRI LANKA> を取り戻すためにも。