12 にしゃんた 入院日記 その1 【にしゃんた こらむ】
日本に来てからの話ですけどね。大学のラグビーチームのメンバーとして、初めて試合に出たんです。2年生の時。僕の運命を大きく替えることになった試合ですわ。
今週と来週は、日本の病院で過ごした、長い入院生活を振り返ります。
小さい時分からスリランカでラグビーばっかしやってたから、自信はあったんです。バイト三昧で、練習は全然出来てなかったんやけど。
体がついて来いひんことを実感したのって、試合開始3分も経ってへんかったと思います。頭でわかっていても、チグハグな動きしか出来へん。
激しいボールの奪い合い。バランスを崩したチームメイト3人の巨体が、僕の体の上に落ちてきた時、膝と地面の間は空洞になってました。バキバキっていう音。電気が走りました。
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「これはもしかしてやばいんちゃうか!」って思うと同時に、「何でもないように・・・」って、心の中で祈った。それもむなしく、立ち上がることができへん。
連れが、接骨院の井上先生の所に担いで行ってくれました。身体を痛めて、しょっちゅう通うてた僕から「出世払いでいい」って、一度もお金を取らへんかった先生ですわ。
いつも冗談を言いながら診てくれるのに、その日は違いました。険しい表情で「力不足ですまん。救急病院に行きなさい」って言いはったんです。
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嵐山にあるN救急病院に運ばれました。大きな病院やってんけど、その時点では解らんかったんです。それが、人生最大の失敗やったって事が。
すぐにレントゲン撮影をされて、「膝には異常ない。捻挫です。湿布を出しときますので、安静にしたら治ります」と診断されまして。この痛みはそんなもんやないんちゃう? って思てんけど、医者が言うことが正しいはずやし・・・。
結局、レントゲンには写らへん、たくさんの細かい組織があることを、完全に見落とされてたんですわ。
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しばらく経ってから、ラグビーはもちろん、大学の体育会の日本拳法や、町道場での空手も再開しました。でも、膝の不安感が無くなる気配はない。それどころか、ひんぱんに膝がはずれるようになったんですわ。そしてその度、N病院に通いました。先生の言葉は「安静にしていないから悪いのだ」の一言。
町道場の空手の先生やラグビーの仲間は、足が痛いときは休ませてくれたものの、大学の日本拳法部は「足一本使えなんだら、残りの三本の手足を使え!」と叱咤激励するんです。
「上級生がしっかりせんと、下級生に示しがつかへん。気合いを入れや!」という世界。今から考えると、ちょっと不思議な社会空間やったけど、その時分は、それが当たり前やと思ってた。
本調子が出ない僕は、この日本特有の「気合い」を身につけるために、富士山登ったりもしたんですわ。
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二年後。足の調子はちっともようならへん。大学も卒業したし。勇気を振り絞って、N病院の先生に「足が悪うなって、もう二年も過ぎているのに、まだ治らへんのは安静にしてないからやないような気がするんですよ」と小声でぼやきました。するとあっさり、さらに大きな病院へ紹介状を書いてくれたんです。それを持って、その病院で検査を受けました。すると、「ひざの中はぐじゃぐじゃだよ。よくこんな長い時間我慢したね」
いや、誉められんのは嬉しいんですけどね。「この怪我は、安静にしても気合いを入れても、治るものではない」と言われて、誰にこの怒りをぶつけたらいいのか・・・。
日本は医学も進んでいるに違いないと信じてました。後進国といわれるスリランカの出身の僕は、裏切られたというか、ショックでした。と同時に、「気合い」の限界を知った瞬間でもあった。もちろんたくさん良い医者もいると思う。でも、不幸にも、いわゆる「やぶ医者」に当たったんだってことがわかるまで、だいぶ時間がかかりました。
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てなわけで、怪我をして二年もたってから、本格的に入院することになりました。結局、そのせいで、何度も入院・手術を繰り返すことになったんですわ。
毎回、入院する前の日には、決まって頭を丸め、意識がなくなるまで酒を飲むんです。頭を丸めるのは、洗う手間が省けるってのもあるんですけど、むしろ願をかけるためですわ。酒を飲むのは、長かったら何ヵ月も飲めないから。
入院当日は、重いかばんを持って一歩一歩踏みしめながら病院に向かうんです。今度、自分の足で歩けるのはいつなのやろうか・・・?
不安な気持ちでいっぱいになりながら。
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長い入院生活で、色々な経験をしました。それは大切な思い出でもあるんです。
病院って、老若男女問わずやってくるし、外の社会で何やってたんかは、まったく関係ない。精神的な病にかかった会社社長もいれば、口ベタな職人もいた。人を笑わせることにかけては達人級のセールスマンもいました。みんなで共同生活を送り、色々な人と出会えるのが最大の魅力なんですわ。カルチャーショックを受ける人もいるけどね。
中でも人目を引くのは、僕が入院してた整形外科病棟。血の気が多くて怪我をしてしまったという患者が多い。男性患者の多くは、怪我した一ヵ所以外はすべて健康。せやから、とにかく元気で、看護婦さんを悩ませるのが日課です。じっと出来へんし、悪さもする。
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患者たちの朝は早い。六時ぐらいから起きだしてきて、電気カミソリでジリジリ音をたてる人もいます。朝起きる早さは、年齢に比例してきますわ。遅くても八時半には食事が出てくるし、その次にリハビリの呼び出しがかかるので、若い人でも、その時刻には嫌でも起こされる。午前中はそんな雰囲気の中でたちまち過ぎてゆく。
午後の楽しみは面会。面会って、本当の友達を見極めるバロメーターになるんですわ。親友や思てたのに、ぜんぜん見舞いに来てくれなかったり、あんまり仲良くないと思てた連れが、しょっちゅう来てくれたりする。そんな中で真の友情を見つけることができるんです。時には恋も芽生えたり。僕にはなかってんけど(哀)。
でも、毎日来てくれた中国人の同級生がいました。お互いをあまり理解していなかった二人が、これを機会に仲良くなりまして。彼が中国に帰った今でも、何でも話せる大親友ですわ。
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もう一つの楽しみは、お土産ですね。男の子のお土産には、「ならでは」のものがあったりします。同性だけがわかる配慮ちゅうかな。ある日、リハビリが終わって部屋に戻ったら、ベッドの上に
「にしゃんた・お土産だ・H本だ・菱田」
とだけ、でかでかと書いた袋が置いてあってね。
これだけの文章やけど、めっちゃ嬉しかったですわ。大部屋ともなれば回し読みが出来るしね。これはコミュニケーションをとるための、最高の手段というか、潤骨油なんです。
いい年こいた大人が、看護婦さんの目を盗みながら、こそこそH本を見ている。ほのぼのしますわ。僕だけ??
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色々な人と出会い別れた、悲喜こもごもの入院日記。その2に続きます。