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97.○○大学様、「京都学」を教えたい僕の熱意について 【にしゃんた こらむ】

私、J.A.T.D.にしゃんたが貴大学の経済学部における「京都学」の教鞭をとらせていただくことを心より希望しており、その気持ちを託したく手紙を添えた次第だいです。

世界は、急速にアメリカ化・グローバリゼーションの荒波に飲み込まれようとしている。人々や地域性の特異性や多様性が軽視され、米国発信型の価値観や金至上主義が絶対的な正論として世の中で無条件に無抵抗に受け入れようとしていることへの警鐘を鳴らす時代が到来していると言えよう。そのなかで、地域学そして日本学としての「京都学」を科目として学びの場で提供している点、大変感銘を覚えます。

私は生まれ、17歳までは日本から離れたスリランカで過ごしていました。日本といえば、「おしん」の国という断片的な情報しかもっていなかった。しかし「おしん」の内面的な日本人美学が国境を越えて普遍的であることを証明してくれた。アジア諸国などでの100%近い視聴率が何よりの証明である。このドラマを通して日本に恋焦がれた世界の人が少なくない。来日以来、ずっと京都で過ごしており、人生の半分以上にもなる。
記憶を辿れば、私がスリランカで過ごした幼少時代、学校には牛車で通って、道端を歩く象を数えることが日課でした。奇数の象に会うと良い事が起き、偶数だとその逆であるのが我々のジンクスであった。悪いことをして教師に打たれたときは、象のせいにしていました。70年代に入ると、象や牛がのんびり歩いていた狭い道が車で覆い尽くされました。調べてみると車は日本製だった。毎週テレビで見ていた「おしん」の国が車を作れるまでなったのだと、子供心に大きな発見であった。今から振り返ると、そのときの日本の中古車は、スリランカ人にグローバリゼーションと本格的な資本主義の到来を教えてくれたツールでほかならなかった。便利さの代償があまりにも悲しい結果とつながった。それは、日本の中古車があまりにも多くなり牛も象も道を歩けなくなったことである。

私は、京都が置かれている状況はスリランカと重ね合わせてしまう。よく言われていることではあるが、京都の町屋の取り壊しや、高層ビル建築などが日本の風景を消してしますのではないか。一度失ってしまうと取戻らないということの意識が少ないようです。京都の景観の一番良い場所をアメリカ系企業のフランチャイズが抑えている。日本もどこ行っても駅前景色、コンビニがあるなど、特徴がない社会に私などは寂しさを覚えるが、京都もいつの間にか同じようになってきている。「京都」は日本人にとっての心のよりどころであり、日本人のアイデェンティでもある。日本国内に小京都55箇所があることが日本人の京都への憧れを証明している。世界に一つしかいない京都を守り発信することが強く求められる。

私は、日本に着て間もないころ、着物の帯を締めていただこうと家のはす迎えのお店に行ったとき、10人程度人がいたにも盥回しにされながらの結局誰一人として上手く結べない、民族衣装が着られないことに大変落ち込んだ記憶がある。日本のことをまわりに教えていただきたいのに、教えられる人が少なく、彼ら彼女らの関心は言葉などを含む西欧文化であることに戸惑いを感じました。日本人の日本人離れを食い止める上でも巨との役割が大きいと思われる。

その後、独学も含め着物の着方はもちろん、日本人が使っていた、「畳」「水引」「座布団」「風呂敷」などについて研究を試みている。また、大学の経済学講義の時間を使い、「畳み」「水引」「風呂敷」「座布団」などの日本での生活の中の周りにある物通してそれらは日本人にとって何であるかを皆で考えてきており、学生にとっての大きな刺激であったことを実感しております。

私は、常に京都に対して興味を周りの方にたくさんの京都を学ばせていただきました。好きが高じて現在、御所南で築100年経つ京町屋で生活し学んでいる。坪庭の意味は何か、庭にある狸に賭けている願いは何かなど等、京都人の生活の知恵や心、その奥深さを噛み締めている。それが、日本人離れした外来者としての宿命と思うこともある。それは、日本の良さ、京都の良さを再発見しそれを発信することである。また、京町屋の自宅を使い京都についての不定期的に勉強会を行っている。将来的にもそれらの勉強会を継続したいと考えている。

また、一度習得したものを社会に還元する必要があると考えており、京都の元土佐藩の跡地を利用してできた立誠小学校で、立誠空手道場を主宰している。近年、若者よる暴力事件などが多発している界隈だけあってこの場所で、本当の強さとは、戦う際、物を持つのではなく、空の手であるということと、そもそも戦わないことであるという美学を発信したい。

私は、初めて京都でおばんざい料理をいただいたときの自分の感想は今でも覚えている「懐かしい。お母さんの味」である。国境や人種などを著悦して伝わる絶対的なものがそこにある。また、ある和菓子職人が言った「世界の人が和菓子を作るようになったら戦争がなくなる。それは、和菓子職人は相手の事を理解し相手の事を喜ばせようとするのに一生懸命だから」が脳裏に焼きついており、弱肉強食がたくさん京都から学べる事柄があると言えよう。私は、ぜひ学生とともに「京都発」の世界に普遍的に通用する価値観を模索したい。京都各々の文化のもつ歴史的な背景や熟練性もさることながら、それらの文化の奥に潜む「平和」や「自然との一体感」「いたわり」「しまつ」「絆」などの「心」としての「京都学」を大いに学びたい学び分かち合いたいと考えている。

私は、「バナナと日本人」や「ナマコのマナコ(目)」などの著物を多数出版した故鶴見良行先生に従事し「歩く」「見る」「聞く」を手法とする民際学の方法論を身に着けてきた。その方法論が「京都学」を教えるに当たって大いに活用できることを信じていす。現に、私の経済学の講義で日本の周りのモノを通して学生と経済学を学んできた。一つの物を熱心に追いかけることによりその対象の向こうに見えてくるメッセージを学びたいと考える。

「京都」はこうであると一概には決して言えるものではない。多種多様で、限りなく奥深いものでもある。偏ることなく、多種多様な切り口で「京都学」を学ぶことが幸せなことである。近代国家としてのアメリカ合衆国が出来上がるはるか昔から運営しているお店などが京都にはたくさんあることが分かりました。私の京都への憧れと、揺るぎない尊敬の気持ちがたくさんの京都の人々と出会わせました。今回の「京都学」がフィールドワークにもとづいて行えるということであるので、その強みを活かせたいと思う。実際に多種な京都分野に関わっておられる方の生の声に耳を傾けること学生にとっては掛け替えのない「京都」を学ぶことになる。もっと内容を練る必要があるのですが、さし当たって協力していただける方がたくさんおられます。著明な方もさることながら、貴大学の近くのそれぞれ分野での職人や匠に話を聞くことも十二分な「京都学」の修得が多いと思われる。また、教室の外での講義に制約があった場合、私が撮影・編集したそれぞれの「京都学」の映像資料を教室で学生に見ていただきながら講義を進めることも可能である。京都学を学生や周りの方の意見に耳を傾け常に改善、改良を行いたいと考えている。

「傍目八目(おかめはちもく)と言葉があるぐらいですので、ぜひよそ者をとして特権を活かせていただいきたく思います。現に今までも私は、外国人でありながら日本の公務員を勤め、発展途上国の出身でありながら先進国の日本の次世代に経済を教えてまいりました。このような組み合わせが、日本ではまだまだ稀でして、日本人の方が大いに驚くことがある。貴大学における「京都学」を私のような一見京都人離れした人間が担当することが、社会に対して大きなメッセージを持つものだと信じております。
よろしくお願いいたします。 

J.A.T.D.にしゃんた 拝

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